History浅井ヒストリー
北海道函館市生まれ。
- 1971年10月北海道函館市生まれ。
- 銀行員だった親の転勤で幼いころは引越しの連続。静内町、札幌市、苫小牧市、江別市・・・現在、札幌市在住。
- 子どもの頃は人前で話すのが大嫌いで全然しゃべらない子ども。
- 幼い頃、母親が子宮がんに罹患したことで、子ども頃からがん闘病記が愛読書で多数読破。
演劇研究会に所属。
北海学園大学に進学し、将来チームナックスのリーダーとなる森崎博之くんの誘いを受けて、演劇研究会に所属。青春時代このサークルで過ごす内に、人前で話すことが楽しくなり、就職後にアナウンスアカデミーに通い、話し方の基礎を学ぶ。この経験が後にセミナー講師として役に立つこととなる。
大学卒業後...
卒業後、株式会社モロオ(医薬品卸)に入社、女性営業2期目として約4年営業社員として働くも体を壊し退社。
半年の療養の後、某病院の派遣社員として医薬品発注の事務をこなす。この頃、自分の生命保険見直しトラブルにより、保険会社に不信感を抱き、自分で保険の勉強を始め、FP(ファイナンシャルプランナー)という資格に出会う。
派遣社員として働きながら夜は6時間勉強し、AFP資格を取得。
2000年1月に鈴木会計事務所(現井上会計事務所)にFPとして入社。生命保険募集人、FPとして5年間修業後退社、2005年2月に生命保険代理店「合資会社エフピーアシスト」に入社。初月2万円のコミッションから、社長との約束通り、半年で月50万円のコミッションを達成。成長に安心した社長の突然のリタイアにより、2005年10月代表社員に就任、事業承継する。
「保険だけではお客様の資産は守れない、お客様の大切なお金を効率的に殖やしたい」の信念の下、金融商品仲介業者として2006年スタート、当時まだ珍しかった資産運用ビジネスに乗り出す。
2009年に別会社を共同経営で立ち上げるが、紆余曲折あり2021年に退任、合資会社エフピーアシストに戻り再スタート。組織変更してFPコンサルティング会社「株式会社お金のカウンセラー」代表取締役となる。
現在は必要に応じてプロフェッショナルと組んで仕事を行う。
私生活では
2010年8月に約10か月の交際を経て、「神様からの贈り物」と思えた夫と結婚、2011年と2012年に高齢出産で一姫二太郎を世に送り出す。子育てをしながらフルタイムで働くため、自分の親と二世帯で暮らすも10年で幕。8年の自宅療養の末、2021年9月肺がんの母を自宅で看取り、父は徒歩1分の老人ホームで暮らすことになり、現在4人家族。
家族の楽しみは露天風呂付き客室のある温泉巡り。お気に入りの宿は北海道中標津町の養老牛温泉「湯宿 だいいち」で毎年しまふくろうに会いに行きます。
趣味
フィギュアスケート観戦 応援歴45年以上でかなりマニアック(小学生の頃の伊藤みどりの演技も真駒内アイスアリーナで見たことあり)
スケートの試合はマニアックな友人同士でチャット、result(点数、評価の詳細表)を予測しながら観戦
浅井の座右の銘
- 「冬来たりなば春遠からじ」
- 「明けない夜はない」
- 「神様は乗り越えられない試練は与えない」
- 「好きこそものの上手なれ」
- 「Going My Way」
浅井の独り言
資産運用といいつつ、特定の金融商品を、手数料の高さで提案するFPが後を絶ちません。私は「自分の利益よりお客様の利益を優先する」ことでいつかWin-Winの関係が築けると信じ、そことは一線を画す信念で仕事をしてきました。
今は多くの日本人が「資産運用」を始めていますが、正しい知識を持っていない方が多く、メディアやネットの情報に振り回されています。
「効率的な試算の殖やし方」で「お金の無限ループ化」の知識があれば振り回されることはないと考えています。
正しい知識で安心の「資産運用」をお勧めします。